CBN設立20周年シンポジウム開催に際し、記念通信を発行しました。

PDFはこちらからダウンロードできます:CBN20周年記念通信PDF

————————————————————————–

CBN20周年記念シンポジウムに寄せて

————————————————————————–

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク(CBN)20周年記念シンポジウムに寄せて、当日参加した関係者よりメッセージをお寄せいただきました。(掲載は五十音順)

時代の転機を迎えて                        

伊藤 清武(コミュニティ・ビジネス・ネットワーク会員)

コミュニティ・ビジネス(C.B)を耳にしたのは1990年代半ばでしょうか。その後、C.B.Nの皆さんに触発され、何時の間にか僕も城北地域などでC.B事業に参画するようになっていました。例えば、インターネット講習事業、街なか工房、まちがミュージアムproj.、リサイクル活動、地域見守り活動、医工連携proj.など、など。

バブル崩壊、グローバル化の嵐の中で国も地域も右往左往した時期に、役所にはできない、外の企業にはやらせたくない、それでは、市民が自ら知恵を出し合い、人を集め、新たな活動拠点を創り、事業展開しようと盛り上がったものでした。

幾つかの試みを重ねましたが、振り返って、果たして、このまちは良くなったのか、魅力が増したのかと問わずには居られません。

最近、社会福祉事業史に関心があって、明治以降の震災、戦災、不況が繰り返されたそれぞれの節目に、逆境に立ち向かった先駆者の強固な意志、支えた多様なコミュニティ、そこから生まれた様々な協働ネットワークがあって、時代を一歩一歩切り拓いてきたことを改めて学んでいます。

コミュニティ・ビジネスも四半世紀の蓄積を活かし、次世代に向けて新たなステージを切り拓いていく時期を迎えたと感じます。それは、活動の成果をコミュニティに定着させ、街の魅力、誇りを創出する仕組みを埋め込んでいくことでしょう。最近、多くの自治体や企業がC.Bを取り上げるようになりましたが、役所や企業の下請けでなく、率先して新しい価値を創出し、多様なネットワークを束ね、まちにカタチを埋め込んでいく、まちぐるみで「まちをデザインし、まちづくりの先導役となるC.B.N」に期待したいものです。

 

私とコミュニティ・ビジネス

鵜飼 修(滋賀県立大学 地域共生センター 准教授・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク副理事長)

私がコミュニティ・ビジネスに出逢ったのは1999年末。前職の部署異動で横浜での勤務をはじめてしばらく経ったときだった。異動した部署が「環境」をテーマにしていたので、「環境」と名のつく講演会などに積極的に参加していた。その一つがヒューマンルネッサンス研究所(HRI)が虎ノ門で開催していた勉強会であった。この勉強会は本当に刺激的で、先進的な活動を実践されている多くの方々と出逢い、様々な知識を学ばせていただいた。そしてこの勉強会をきっかけに環境と共生する社会には市民活動が重要であることも学び、横浜の環境NPO活動へ参加するようにもなった。

しかしながら、当時はNPO=無償ボランティア活動という色が強く、活動は補助金頼み、ボランティアは無償が当たり前という様相であり、活動の持続性に疑問を抱いた。そのような時、ちょうど発刊されたばかりの細内氏の著書「コミュニティ・ビジネス」(中央大学出版部)と出逢い、「市民活動に必要なのはこれだ!」と強く思ったのである。早速、細内氏から直接話を聞こうとコンタクトをとろうとしたところ、なんとHRIの勉強会で懇意にしていた方が「隣に座っている」とのことであった。

細内氏を会社に招いて講演いただいた際に、「C.B.N.の事務局を手伝わないか?」とのお誘いを受け、勉強のつもりで参画した。細内氏の講演を一番後ろで聴講し、そのノウハウを貪欲に学んだ。学んだことは実践しないと気がすまない性分なので、自身が関わる活動もコミュニティ・ビジネスとして、「地域に良いことをしてお金を回す仕組みづくり」にチャレンジした。最初にチャレンジした九州大牟田での産業遺産を活かしたまちづくりNPOの取り組みは、同志に恵まれ現在も活動を続けることができている。

2003年には「3日でマスターできるコミュニティ・ビジネス起業マニュアル」(ぎょうせい)を細内氏と共同で刊行した。この頃から、コミュニティ・ビジネスに関する講師も務めるようになった。2004年4月には地元東京大森でまちづくりNPOを立ち上げた。その際にコミュニティ・ビジネスの学習会を開催し、「活動は拠点を設け、専従スタッフを置く」コミュニティ・ビジネスの基本スタンスを実践した。まちづくり活動は代表の自宅が事務所で、無償ボランティアが当たり前のようにとらわれていたが、あくまで事業性を持つように心がけた。

その後、2006年に転職し、現在では大学院にてコミュニティ・ビジネスの実践ノウハウを教授するようになった。振り返ってみると、世紀末のコミュニティ・ビジネスとの出逢いが私自身の人生に大きな影響を与えたことは否めない。近年漸くコミュニティ・ビジネスの市民権が得られるようになってきた。しかしながら、現場では無給スタッフと有給スタッフとの協働が必ずしも受け入れられない空気を感じることもある。大切なのは「何のためにやるのか」というビジョンの共有と、ひとりひとりのミッション(使命感)と地道なアクションであると思う。C.B.N.は20周年を迎えたが、ビジョンを具現化するための戦略としてのコミュニティ・ビジネスの普及は、まだまだ道半ばであると感じている。

 

コミュニティ・ビジネスと私

木村 政希(公益財団法人東北活性化研究センター調査研究部 主任研究員・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク運営委員)

2017年12月2日に開催されたC.B.N.の設立20周年記念シンポジウムに、久しぶりに出席させていただきました。前回C.B.N.の行事に出席したのは「コミュニティ・ビジネスのすべて」が出版された2009年のことですから8年以上の月日が開いたことになります。

それから時を遡ること約10年。当時ビジネススクールの学生であった私は大学院における「企業価値至上主義」に疑問を抱き、それに変わる新しいヒントを求めておりました。そうした中、1998年の秋、多摩大学でコミュニティ・ビジネス・カレッジが開催されるという小さな記事を見つけ、どのようなものか興味をもって会場に向かいました。

会場で細内さんの生き生きとした話しぶりに感銘を受け、「欠けていたものはこれだ!」と思い、すぐさまC.B.N.の活動に参画しました。

大学院の授業の合間を縫って当時両国にあった「ネットワークサロン」などで細内さんをはじめとする色々な方々からお話を伺い、「地域を元気にする」実践的な方法について学ぶとともに、署名記事・書籍の執筆という貴重な機会を頂戴いたしました。その経験が現在の業務に結びついていることはいうまでもありません。

コミュニティ・ビジネスという考えが提唱されて20年余り。社会の変化とともにコミュニティ・ビジネスも様々なシーンで問題解決の手段として求められるようになってきました。かつては「コミュニティで商売なんて・・・」と否定的な意見も多かったものの、今日では持続可能な地域づくりの重要ポイントとなるなど、ものの見方も180度変わってきました。

また、課題解決の手法も多様化し、IT技術などを駆使して世界中からコミュニケーションやサポートも行えるようになって来ています。

C.B.N.設立30周年を迎える2027年には、こうした新しい技術も積極的に取り入れ、コミュニティ・ビジネスとC.B.N.の皆さん力で「暗いつぶやき」が「明るい笑顔」となる地域がひとつでも増えるよう期待して止みません。

 

CBとの出会い 

古賀 敦之(ソーシャルビジネスネットワーク北九州 副代表・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク運営委員)

コミュニティ・ビジネス(以下CB)という言葉が生まれて20周年になるのでイベントが開かれる。私はそのお誘いに応えないわけにはいけないというのが直感だった。なぜなら、地方が閉塞し、コミュニティの関係性は薄れつつある中で、次世代に向けた新しい鉱脈として輝いていたものが、このCBだったからである。当時このコミュニティ・ビジネス・ネットワークでかけがえのない出会いと知見を得た。始まりは、当時CBN事務局長であった鵜飼氏と別の場で知り合い、その誘いに応じて、CBNの例会をのぞいたことがきっかけとなり、経営学を学ぶため大学院進学のテーマとして、社会的課題をビジネスの手法を取り入れ解決するCBは、進学先でテーマとなった。

とはいえ、学究の世界ではCBは耳慣れない言葉であり、地域ビジネスとどう違うのか、商店街の活性化やまちづくりとはどう違うのか等、体系立てて確立していないCBは、混乱の引きがねだったとも言えなくもなかった。

それから研究対象としてCB訪問全国行脚の旅が始まった。もっとも最初は、東京の旗の台にあるスピカ麦の穂だったと思う。市民出資で資金を集めた手法には驚かされたが、今ではSNS時代を迎えクラウドファンディングが広まっている。その後、現場でお会いした方々は、どなたも素直で優しく、自分の持ちえた知識を誰もが懇切丁寧に提供してくれた。そんなノウハウまで教えてくれるのかと帰り道に感動したのを覚えている。CBNの例会の帰り、夜道で細内さんと社会起業家の定義について議論したことは記憶に残っているが、社会起業家というリーダーが困難にまみえながら事業を軌道に乗せていく中で、その人格が形成され、来訪者になんでも教えていただいた。その姿は、自分が受けた恩送りをされているのだと認識するようになった。

大学院を卒業してから、社会的企業が生み出す社会変革に関心が移り、モンゴルの塩を販売した利益で13年にわたり、砂漠の緑化活動に取り組む起業家の姿を目の当たりにすると、事業の規模よりも社会課題を解決しようとする思想の方が重要に見えてくるようになってきたのも率直な感想だ。そのうちに、自分でも遠巻きながらもCBに参加する場が出てくるようになった。まさしくCB常套句「二足のわらじ」である。出来ることは小さいが、齢を重ねるうちにE.F.シューマッハーのsmall is beautiful で問われる「1000の理論よりも1つの実践の方が尊い」を実現したいと考えている。

今回、細内さんのお声かけで集まったCB20周年、素敵な会場で再会の喜びは代えがたいものがあり、運営していただいたみなさんには深く感謝している。惜しむらくは、いつもCBNで出会った方は素晴らしい方ばかりであったし、彼らを招くために会場は、もう少し大きくても良かったのではないかと思う。次の30回記念の際は、東京国際フォーラムで開催されることを願っている(笑)。

 

概念を浸透させた20年。さらなる進化が求められるこれからの20年。

斎藤 主税(特定非営利活動法人都岐沙羅パートナーズセンター理事・事務局長・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク会員)

今から20年前の1998年。当時、計画技術研究所の所員だった私に、あるミッションが課せられた。「コミュニティ・ビジネスによる地域づくりを新潟県岩船地域で実践せよ」。まだ、コミュニティ・ビジネスという概念が世に出たばかりで、誰もが「何だそれ?」という状況下である。当然、前例はない。私自身、まったく知識が無い中でのスタートだったので、当時の上司(林泰義氏、須永和久氏)から勧められ、立ち上がったばかりのC.B.N.に参加した。

C.B.N.の活動を通じて、最先端の概念と全国の様々な事例・情報を仕入れ、すぐに地域の現場で実践するという自転車操業であったが、やっていく中で、「これからの時代の地域づくりはこれしかない!」と確信するまでに、さほど時間は掛からなかった。

地方の片田舎である新潟県岩船地域での取り組みは、数々の成果を生み出し、地域づくりにおけるコミュニティ・ビジネスの有効性を実証。微々たるものではあるが、コミュニティ・ビジネスという概念の普及・浸透の一助になった。

スタートから20年。コミュニティ・ビジネスは社会に十分に浸透し、地域づくりにおける当たり前の考え方となった。全国各地で多様なコミュニティ・ビジネスが生まれ、この流れは今も衰えることなく続いている。

20年も経てば地域・社会はそれなりに良くなっていそうなものだが、現実はそうでもない。人口減少・少子高齢化は急激に進展し、縮小社会に向けた備えが社会全体で喫緊の課題となっている。地域・社会をより良いものしようという取り組み以上に、社会的な課題が増え続けている。

冷静に地域・社会の将来見通しを認識し、いまからそれに備えることは不可避な現在、コミュニティ・ビジネスの考え方は地域づくりの根幹をなす概念となった。これまでの20年は、コミュニティ・ビジネスを「起業」するというイメージが強かったが、これからの20年は、「地域経営」という視点からコミュニティ・ビジネスを展開していくことが不可欠である。さらなる進化が求められるこれからの20年。まだまだC.B.N.の役割は小さくない。

 

松明(たいまつ)  

島袋典子(有限会社つくばインキュベーションラボ代表取締役・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク運営委員) 

「コミュニティ・ビジネス」と細内先生に出会ったのは、いつだったのか、今となっては記憶が曖昧です。多分18年くらい前です。しかし、細内先生の講演を聞いて、「そうか、私のやりたいことは、こういうゾーンだったんだな」と膝を打ったのは覚えています。その後、弊社の会議室で「コミュニティ・ビジネス勉強会」なるものを何回かやり、会社やNPOを設立した人もいます。

会社やビジネス・事業を、営利目的であるか否か、社会的な事業か、大きいか小さいか等で色分けすることに、私は関心がありません。組織を作り事業を行うというのは「どんな機能を世の中に提供するか、それでどんな世の中になると良いと願うか」というビジョンを具現化することであり、「コミュニティビジネスビジネス」はその中のあるゾーンの概念だと思います。

私が繰り返し唱えさせていただいている細内節は「松明は自らの手で」です。「人のため」とか「社会のため」というよりもまず、実現を願う自分のためである自覚が必要です。日本人は、儲けることに背徳感があるのか、ビジネスを行う目的に社会や地域のためという美辞麗句を使いがちで(特に補助金申請の時に)、それによって逆に縛られてしまうという悲劇がおきます。

まず自らが食えて、仲間も食えて(雇用や発注)、それが続いて世の中に責任をもって機能できます。そうして機能を果たす(顧客を満足させる)ことで、役に立っています。さらにもっと余力があれば、他の事業を起こして機能を増やしたり、寄付や非営利活動もできるはずです。

堂々と儲けて、楽しい会社やコミュニティを形成し、地域や社会を支えるサイクルを構築するポジティブな「ビジネスマインド」が浸透することを願っています。

 

コミュニティ・ビジネスとの出会いとさらなる普及に向けて

東海林伸篤(世田谷区職員・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク事務局長)

13年前、山形県天童温泉組合からの依頼で、当時、東北芸術工科大学で助手をしていた友人たちと「天童の森」というテーマで温泉街のまちづくりに取り組みました。高度経済成長期に宴会メインの団体客を対象とした大型温浴施設へと建替えが進んだ街の、地域資源を掘り起こし、ソフトとハードの両面から魅力ある温泉街として再生させていこうというものでした。建築、ランドスケープ、文化財、まちづくりなどの各専門性を活かしたチームとしての取組みでした。補助金に頼らず、地域の人々が主体となり、地域資源を活かしながら、街の魅力を持続的に高めていくためにはどうしたらよいか・・・。地域通貨やグラウンドワーク活動など、各種文献等に当たる中で、たどり着いたのが、「コミュニティ・ビジネス」(中央大学出版会)をはじめとする細内信孝氏の一連の著作でした。そのすべてを都内の書店で買い込み勉強し、温泉街の再生プランに反映させていきました。

その後、高田馬場で開かれたCBN定例会に顔を出し、メンバーに迎えていただいたのが、私のCBNとのかかわりの始まりです。当時、地元川越で仲間と映画館「川越スカラ座」の再生に向けた活動をNPOプレイグラウンドの役員として進めていました。そして川越市との共催により、コミュニティビジネスシンポジウムを川越スカラ座にて開催し200名近くの集客を事務局として得たことがきっかけで、CBN運営委員、そして鵜飼修氏の後任として事務局長を拝命し現在に至ります。

コミュニティ・ビジネスが日本に提唱されて20年が経ちこれからますますその需要は高まると私は考えます。高齢者、子供たち、主婦、サラリーマン、それぞれが身の丈の起業をし、やりがいを持って社会と関わり続けることが、心豊かで健康な社会の創造に繋がるからです。

特に、高齢者とコミュニティ・ビジネス。高齢者の生きがいと元気づくりは、国全体の医療費の削減にもつながります。地域資源を活かし、ボランティアではなく、きちんと対価を得ること。そのことで、やりがいを感じ、社会とコミットしながら、高齢者が社会の一員としてイキイキと関わり続けられるシステムづくりは、今求められていると考えます。世田谷区の地域共生のいえ「あかねこうぼう」で取組まれていた活動では、90才のお年寄りがコミュニティ・ビジネス的に自作の手作り品を年2回のバザーで販売することにより、生きがいを見出し見違えるように元気を取り戻したケースがあります。

さらに必要と考えるのは、子供達へのコミュニティ・ビジネス的視点の教育活動の普及です。これまでの算数、国語、理科、社会、英語といった科目に加えて、コミュニティ・ビジネスを総合的な基礎的科目として広く普及させることが大事ではないかと考えます。小学校、中学校の義務教育期間にコミュニティ・ビジネス的視点を学ぶことで、社会の仕組みを知り、子供時代から社会と関わり自分を生かすすべを身につけ、将来の元気な地域づくりに向けた種を蒔くのです。

副業や兼業の普及の兆しが見えるなかで、サラリーマンを地域に戻しスキルを活かして貰う上でも、コミュニティ・ビジネスは必要です。家庭の主婦に対してもそれは同様に求められます。

コミュニティ・ビジネス20周年シンポジウムでは、同じまちづくりへの想いを共有できる諸先輩方が集まり、こうした考えの必要性を改めて自身の中で確認できたひと時でした。

これからの10年、コミュニティビジネスをさらに発展的に捉え積極的に社会に働きかけていきたいと考えます。

 

コミュニティ・ビジネスのこれまでとこれから

須永 和久(計画技術研究所 代表取締役・コミュニティ・ビジネスネットワーク副理事長・共同代表)

2017年12月2日のコミュニティ・ビジネス・ネットワークの設立20周年記念シンポジウムにおいて、コミュニティ・ビジネスの定着と成果及び今後の可能性を実感しました。20年前の林さん、細内さんの着眼の先見性は素晴らしいと思います。

都岐沙羅パートナーズセンター理事の斉藤主税氏の講演は、地域における実績を踏まえたもので、20年に渡って取組が継続し、コミュニティ・ビジネスが地域に根付いて今なお持続的な効果を生み出していることに感銘しました。

地方創生という掛け声の下、地方の活性化が一段と求められている中、観光、交流、アート、ITによる活性化に注目が集まりますが、都岐沙羅パートナーズセンターの取組は、地に足が着いたものであり、高く評価されるべきでしょう。

地域の活性化や移住促進は、結局のところ、雇用の創出が基本であり、資源や人材を活用した内発的な発展がこれからも必要と考えます。内発的な発展の実現方策として、エコノミック・ガーデニングという考え方や手法、あるいはグローバル・ニッチ・トップ企業の育成がありそうですが、その2つにコミュニティ・ビジネスを加えて、「エコノミック・ガーデニング」「グローバル・ニッチ・トップ企業」「コミュニティ・ビジネス」を組み合わせた地域活性化の方策がないか、考える段階に来ていると考えます。

私としては、コミュニティ・ビジネスの発想を生かして、地方にある既存のスモールビジネス(本屋、洋服の仕立屋、印刷屋、鉄工所、木工所など)が独自のオリジナル商品の開発製造を行い、販売することで地域経済の活性化を図れないか考えています。

自分達が自ら考えて、アイデアを出して商品開発やビジネスを行えば、地域はもっと楽しく、生き生きとしたものになる筈です。

 

私たちに根付くコミュニティ・ビジネス

田中 惇敏(特定非営利活動法人Cloud JAPAN代表理事)

私が初めて「コミュニティ・ビジネス」という言葉に出会ったのは5年前、大学のソーシャルアントレプレナー育成の講義だった。概論として当たり前のように習い、当たり前のように使った。裏を返すと、「コミュニティ・ビジネス」の言葉の生まれや波及について考えることはなかった。

2017年12月、大変有り難いことにCBN設立20周年記念シンポジウムに講演者としてお呼び頂いた。私は会社設立1年ちょっとと駆け出しであり未熟なので、震災から7年経つ東日本大震災被災地の現場で起こっていること、その課題に現場でどうコミュニティ・ビジネスという概念が貢献しているかの例しか示せなく申し訳ない思いでいっぱいだったが、細内様はじめ「コミュニティ・ビジネス」の概念を20年も前に提唱し、20年間継承し続けた皆様とお話できたことは大変貴重な機会だった。概念を作り、守り、育てることの尊さ、そしてその熱意の集合に感動し、そこにコミュニティ・ビジネスの根幹の一つを感じた。

CBNが生まれた20年前は当時4歳。当時のコミュニティ・ビジネスの必要性に肌感覚では分からないが、20年経った今でも、今でこそコミュニティ・ビジネスの必要性を痛感している。

改めて20周年おめでとうございます。これからの20年は私たち若手世代がしっかり継承していく。世代を超えて素晴らしい概念が広がることを心より祈念する。

 

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク設立20周年への想い

細内 信孝(コミュニティビジネス総合研究所代表取締役・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク理事長・共同代表)

2017 年 12 月 2 日(土)15 時から 20 時まで5時間にわたり東京都渋谷区千駄ヶ谷 の花屋さんにて、コミュニティ・ビジネス・ネットワーク(CBN)の設立 20 周年記念シンポジウムが開催された。 シンポジウムのスタートは、林泰義さんと一緒に始めたコミュニティ・ビジネス(CB) の研究、その社会開発について、細内より会場の皆さんに事始めを紹介し、それから 林さんとの対談形式でコミュニティ・ビジネスの意義や意味、社会開発としてまちづくり におけるコミュニティ・ビジネスの役割やその効果など、予定枠の 30 分を超えて 45 分間にわたり熱弁が展開された。

今から 20 年前といえば、林泰義さんは 61 歳、細内は 40 歳であった。地域を元気 にするアメリカのコミュニティ開発法人(CDC)の存在やそのレバレッジ効果の話しなど、懐かしい話題に会場からも感嘆の声が上がった。

思えば、今から20年前の 1997 年 3 月に、私たちは、コミュニティ・ビジネス・ネット ワークを東京都墨田区錦糸町駅前のすみだ産業会館で立ち上げた。気がつけば、私 は、コミュニティ・ビジネスの関連書籍22冊(韓国語版2冊を含む)をCBNの仲間たち と一緒に出版した。また日本の津々浦々、コミュニティ・ビジネス普及のための講演や 講座、起業ワークショップなどで全国各地を巡回し、その回数は約 2 千回に及んだ。 さらには、7つの大学(1 つの短大、3 つの大学、3 つの大学院)の非常勤講師(主に コミュニティ・ビジネス論)として 15 年間にわたり、その教壇に立つことができた。 海外の活動は、英国外務省・チャリティ団体からの招きで英国NPO・社会的企業 の視察、韓国語翻訳本の関係で韓国政府機関からの招待講演も4回を超えた。

私は、コミュニティ・ビジネス・ネットワークの多くの仲間に支えられながら、無我夢中で走ってきた 20 年間であった。彼らの支えがなければ、この20年間の普及活動は果たし得なかったものであろうと思っている。久しぶりに林節に触れ、心が再び熱く なった。林泰義さん、CBNの仲間たち、会場のみなさん、たいへんお疲れ様でした。

今後とも、コミュニティ・ビジネス・ネットワークに、ご参加、ご支援、ご協力をよろしく お願いいたします。